Quantcast
Channel: さかさまに見るくらいで丁度いい
Viewing all articles
Browse latest Browse all 122

見下さない事を構造主義的に・・・そして良いお年を

$
0
0

大晦日に書いています。
みなさん、どのような一年でしたでしょうか。良い事があった人も、そうでなかった人も、心穏やかに新年を一緒に迎えたいものです。

心穏やかにすごす為の一考として、“他人を見下さない”というのは大事です。

今年は色々なことがありました。赤ちゃんのように泣きじゃくる地方議員、細胞が無かった人、聞こえてた人などなど、最たるトピックスは年末の衆議院議員総選挙ではないでしょうか。
これらの事象に対して活発な意見交換や個人の主張表明などは自由です。そして、対象の機微情報などに注意したうえでの正当な批判も社会のバランス維持の為には大切です。

しかし、これらの批判をするにあたり、あまりにも正義を振りかざしすぎて自分が正義の枠外に出てしまっている人が見受けられます。つまり、正義というハンマーを振りかざせるのは正義の枠の外に居る人、ということです。

“正義”という広い概念を、冒頭の“他人を見下さない”に狭めて考えてみます。

ある領域について概念や語彙が豊富であるということは、その集団がその領域に対して深く関心を持っている、ということです。「文明人」と「未開人」はその関心の持ち方が違うのであって、「文明人」が見るように世界を見ないというのは、別に「未開人」が知的に劣等であるということを意味しません。[1]

これは一定の分野に専門的な知識を持つ人にありがちです。ニーチェが非主体的な群衆を「畜群」と名付けたように、あたかも自分が知的貴族であるかのように振る舞います。「こんな常識的なことをなぜ知らないのだ」と群衆を見下すのです。

人は、おのれの思考の客観性指向を過大評価する傾向があります。つまり、私たちは自分の見ている世界だけが「客観的にリアルな世界」であって、他人の見ている世界は「主観的に歪められた世界」であると思って、他人を見下しているのです。自分が客観的視点にいると思いこむ人間ほど、この誤りをおかしがちです。[2]

こちらは特に衆議院議員総選挙で如実になりました。一方が出した指標を“主観的指標である”と断罪する人が出した指標もまた“主観的”であるのです。あくまでも間違いの是正という趣旨であれば良いのでしょうが、そこに「見下し」が入り込むことを人は敏感に感じ取ります。

このように道徳的・美徳的なものを述べましたが、このような考えが万人に当てはまるとは考えていません。なぜなら、このような考えが状態となっていない社会も確実に存在するからです。それは、“人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出す[3]”からです。ですので、このような道徳的・美徳的なものが社会の状態として認識出来る人だけでもやすらかな心で過ごせば、少しは穏やかな新年が迎えられるのではないでしょうか。

皆様、良いお年を。

[1]レビィ=ストロース
[2]寝ながら学べる構造主義 147頁 文春新書
[3]レビィ=ストロース








レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)


寝ながら学べる構造主義 (文春新書)


はじめての構造主義 (講談社現代新書)




Viewing all articles
Browse latest Browse all 122

Latest Images

Trending Articles





Latest Images